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 瞑 想  -Awakening SELF- 自己に目覚める


 瞑想とは自分自身の自然な姿(サハジャ)になること


 ここに書かれていることは、私の概念であり、
 真実を語るのに言葉の表現の壁を超えることはできないことをご了承ください。
 真実は決して言葉にすることはできないものであり、
 それを自分自身で認識することでしか、本当の理解は得られません。


・・・ 自分とはそもそも誰なのか



いにしえの時代から、私たちは「自分とは何か」という問いかけを行ってきました。

いつも私たちが感じていることは、外側から押し付けられた

何か締め付けられるような緊張感とともに存在を与えられているということです。

「私」たちにはいつも予測できないような問題が起こり、そこには苦しみがあります。

それを解決するために、心を悩ませ続けます。

何かを得ることで問題を解決しようとしますが、ほとんどが失敗に終わります。

私たちのハートにはその環境によって生み出された記憶や習慣(考え方の傾向)が存在します。

それらが私たちの「存在」を形づくり、それに依存して人生を生きています。

その「存在」を自我とかエゴとか呼んでいます。

私自身がその自我の上にある限り、私たちがエゴであると思っている限り、

私たちは自由ではないという概念をつくりだし、それに束縛され続けていきます。


・・・ 本当の自分自身




マスターは言っています。

苦しみがあるのは、自己と身体を同一化し、私(自我)が行為者であると思っているからである。

究極的な自分自身は身体でも考え方でもない、

私たちの内面に静寂とともに存在する「自由」そのものです。

この存在が自分の本当の姿です。

そして、それは意識の深みにあるのではなく、すぐそこにいつもあります。

そうでなければ、どうして私たちが存在することができるでしょうか。

私たちはいつでも静寂にいて、覚醒しているのです。

これは「悟り」の状態と同じです。

「悟り」とは自分自身が静寂の意識そのものであると認識することであり、

身体や心の動きから自由であると知ることなのです。


・・・ 自由を取り戻す




私たちがこの人生で自由を明らかにしていくためには、

それを覆い隠している緊張や束縛を解き放つ必要があります。


サハジャ瞑想をすることで、私たちは内面に光を当てます。

光を当てることで、そこに潜んでいる記憶や執着を解き放ち、

自由な存在とのつながりがそこにあることを明らかにしていきます。

本当の自分自身をを探す必要はありません。

そうすれば、いつでも向こうからやってきます。

サハジャ瞑想で得られることは何もありません。

もともと自分自身の中にあった「自由」というその存在を明らかにしていくのです

得られるものはありませんが、手放していくことはたくさんあります。

これがカルマ(過去のストレス)とも呼ばれているものです。

これがサハジャ瞑想でなされていくことです。

私たちは自由であることを完全に取り戻すと同時に、

すべての問題は消失し、カルマは完全に燃え尽きたことを知るでしょう。

この身体は覚醒を取り戻したあとでも残りますが、

身体の人生は神にゆだねられ、自然な流れの中で輝きを取り戻すのです。


・・・ 私たちがここに存在する理由




外側にあるものは何もコントロールできません。

私たちのエゴがそれに逆らって何かを得ようとすることに価値はありません。

変化する性質を持つ宇宙には、永遠の幸福はないからです。

すべては過去という幻想になり、必ず失われます。

私たちが失おうとしても絶対に失うことができないもの、それが真の価値があるものです。

それは時間という束縛がなく、一瞬であり永遠であるとも言われています。

それは私たちがそれを得ようと努力しようがしまいが、いつでも私たちの中で輝いています。

それは私たちが外の世界で見つけようとしていたもの、そのすべてを含んでいます。

それを見出すことが、この人生でなされる必要があることであり、

私たちがここに存在する理由なのです。









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