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 フルフィルメント瞑想  Awakening SELF 自己に目覚める

菩提樹の風ブログ http://bokaze.sblo.jp/

・・・ 瞑想は本当の自分自身に帰る旅
瞑想は自分自身を大きくシフトするための誰でも簡単にできるテクニックです。私という存在をもっと深く知ることで、人生は思う以上に豊かで自由であることがわかります。誰でも光を持っています。もう幻影ばかりを追う必要はありません。瞑想は自分自身の中に輝いている光を見つけるためのギフトなのです。そしてそれは、あなたが何百万年も捜し求めてきたものです。あなたの中の純粋な意識が、瞑想を求めています。それは自然なことです。なぜなら、それは私たちが家に帰るように、生まれてきた故郷である純粋な意識に戻ることだからです。

・・・ 「悟り」を得ることのできる瞑想が本当の瞑想
ここでいう瞑想とは私の瞑想の師であるボブ・フィックスが伝えているフルフィルメント・メディテーションのマントラを使ったフルフィルメント瞑想のことをいいます。さらに、私の長年の瞑想経験とボブ・フィックスや様々なマスターからの教えによって導かれた悟りにいたる道を示す独自のインストラクションを伝えるものです。悟り(啓発、自己実現、神との合一)を得るということがこの瞑想の目的です。実は悟りとは私たちの最も自然な姿なのです。このことを伝えていくことが私の瞑想教師としてのミッションです。

・・・ 瞑想とは自分自身の自然な姿に気がつくこと
瞑想は身体や心を癒すことだけが目的ではありません。それだけなら、他にもより合理的で効率的な方法を見つけることができるでしょう。しかし、身体や心を癒すだけでは、私たちはこのマインドと輪廻の世界に縛られ続けることに変わりありません。癒しはすべて一時的なものです。この身体や心というカルマの温床から自由になるためには、そこから先に一歩踏み出していく必要があります。これが「私」と「空」意識とを融合させることです。そこではじめて私たちはあらゆるものから解放されて自由になることができます。これが自分自身の自然な姿になるということです。これが瞑想の最終的な到達地、「悟り」です。

・・・ 本当の自分自身
マスターは言っています。「苦しみがあるのは、自己と身体を同一化し、私(自我)が行為者であると思っているからである」。究極的な自分自身は身体でも考え方でもない、私たちの内面に静寂とともに存在する「自由」そのものです。この存在が自分の本当の姿です。そして、それは意識の深みにあるのではなく、すぐそこにいつもあります。深いとか浅いとかいう概念を超越しています。そうでなければ、どうして私たちが存在することができるでしょうか。私たちはいつでも静寂にいて、覚醒しているのです。これは「悟り」の状態と同じです。「悟り」とは自分自身が静寂の意識そのものであると認識することであり、身体や心の動きから自由であると知ることなのです。

・・・ 自由を取り戻す
私たちがこの人生で自由を明らかにしていくためには、それを覆い隠している緊張や束縛を解き放つ必要があります。サハジャ瞑想をすることで、私たちは内面に光を当てます。光を当てることで、そこに潜んでいる記憶や執着を解き放ち、自由な存在とのつながりがそこにあることを明らかにしていきます。本当の自分自身をを探す必要はありません。そうすれば、いつでも向こうからやってきます。サハジャ瞑想で得られることは何もありません。もともと自分自身の中にあった「自由」というその存在を明らかにしていくのですから、何かを得るということができないのです。得られるものはありませんが、手放していくことはたくさんあります。これがカルマ(過去のストレス)とも呼ばれているものです。これがサハジャ瞑想でなされていくことです。私たちは自由であることを完全に取り戻すと同時に、すべての問題は消失し、カルマは完全に燃え尽きたことを知るでしょう。この身体は覚醒を取り戻したあとでも残りますが、身体の人生は神にゆだねられ、自然な流れの中で輝きを取り戻すのです。

・・・ 私たちがここに存在する理由
外側にあるものは何もコントロールできません。私たちのエゴがそれに逆らって何かを得ようとすることに価値はありません。変化する性質を持つ宇宙には、永遠の幸福はないからです。すべては過去という幻想になり、必ず失われます。私たちがこの人生で見出す価値のあるもの、私たちが失おうとしても絶対に失うことができないもの、それが真の価値があるものです。それは時間という束縛がなく、一瞬であり永遠であるとも言われています。それは私たちがそれを得ようと努力しようがしまいが、いつでも私たちの中で輝いています。それは私たちが外の世界で見つけようとしていたもの、そのすべてを含んでいます。それを見出すことが、この人生でなされる必要があることであり、私たちがここに存在する理由なのです。

・・・ ここに書かれていること
ここに書かれていることは、私の概念であり、実を語るのに言葉の表現の壁を超えることはできないことをご了承ください。真実は決して言葉にすることはできないものであり、それを自分自身で認識することでしか、本当の理解は得られません。




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