1月 3rd, 2012
コメントは受け付けていません。, 星風の預言, by soichi_sato.

沈黙は何も無い。そこは貧しい。きらびやかな世界ではない。取るに足らない浜辺の砂粒のようだ。砂粒は何も語らず、そこに在るが、世界のすべてを手にしている。すべてを手放した時、すべてを手に入れるのだ。沈黙はそれを言い表している。あなたが真実を世界から手に入れたいと思っている限り、それは現れてこないだろう。聖者は沈黙を守る。それが最高の答えだからだ。何も知らないのではない。あなたは沈黙の聖者に答えを求めるが、沈黙はあなたの求める答えではない。マインドは言うだろう、それでは答えにならない。何も知らないのと同じではないか。だが、世界にはそれ以外にマインドを満足させる答えはないのだ。これが真実だ。あなたはいつかそれを知るだろうか。沈黙という最高の叡智は、いつもあなた自身として在る。あなた自身が沈黙であることを知った時、すべての答えを知るだろう。それは言葉ではない。言葉を超えた叡智だ。それを知れば、言葉の知識など取るに足らないものとなる。言葉はそこへの道を示すことは出来るだろう。それは地図であって、真実ではない。沈黙はリアルな真実だ。言葉の地図に導かれて進み、最後は地図を捨ててそこに降り立つのだ。あなたは沈黙の中であなた自身と出会い、それとひとつになり、そこではじめてほんとうの世界を見ることが出来るだろう。
1月 3rd, 2012
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あなたが沈黙にあるとき、世界は輝き出す。あなたが世界を照らすだろう。必要なことは世界が与えてくれる。世界は語り、あなたは沈黙している。これが自然な姿だ。あなたは何かに夢中になるかも知れないが、あなたは沈黙のままだ。あなたは世界をさまよい歩くかもしれないが、あなたは沈黙のままだ。あなたは何かを語るかもしれないが、あなたは沈黙のままだ。世界と共にあるあなたはいつも何かをしているだろう。だが、あなた自身は、そんな世界を沈黙をもって眺めている。いや、眺めていることでさえ、完全な沈黙ではない。私として在ること、それでも沈黙ではない。状況を説明することで、沈黙の真実を語ることはできない。沈黙は語りえない。沈黙はあなたにひとつの方向を与えるだけだ。私として在ることさえ溶け去り、そうであっても、明らかに存在があること、ただの沈黙が、沈黙を超えた沈黙だけが、その沈黙としてのみ在ること。その方向に進んでいった時、あなたと世界は沈黙と一体となる。沈黙から一瞬一瞬すべてが動き出している。動き出しているものさえ、沈黙でないなどということは有り得ないのだ。あなたは沈黙となり、そして世界となる。もう世界を探し回る必要はない。あなた自身が世界だからだ。もう求めるものもない。あなた自身が「満たされること」だからだ。
1月 1st, 2012
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あなたは世界の中で満たしてくれそうなものを見つけると、夢中になってそれを追いかける。それに満たされようとすればするほど、あなたは満たされることから遠くなる。確かにそれは楽しい。だが、ほんとうに満たしてくれるものではない。コップ一杯の水は乾いた喉を潤すが、やがてまた喉が乾きはじめれば、またコップ一杯の水を求めてさまよいはじめる。あなたはその喉の渇きを潤してくれた水の快感を再現したいと思う。それは確かに再現されるだろう。水は乾いた喉を何度でも潤す。だが、あなたは水を求めてさまよい続けなければならない。あなたは満たされることを求め続ける。いつでも乾いた喉を潤してくれるものが欲しいのだ。確かに水はあなたの心を癒すだろう。そのとき、その心地よさに何かがはっと目覚めるかもしれない。その瞬間、あなたは満たされたと思う。そして、この感覚を求めてまたそれを探し求める。この繰り返しが、際限なく求め続けることが、あなたから満たされることを遠ざけている。どれだけ求めて、それを実現すれば満たされたままでいられるのか。世界には様々な行為がある。その行為は、あなたを癒し、満足させ、爽やかな気分にさせてくれる。それを求め続けることが正しい道なのだろうか。何もしない沈黙はいつでもそこに在る。行為を超えてそれはそこにあり、いつでもあなたを満たしている。沈黙の中で、あなたは満たされなかったことなどなかった。あなたは世界にそれを求めて沈黙から出かけてしまったために、満たされたことを失ったのだ。あなたは沈黙そのものだ。そこでは喉の渇きが起こることさえない。
1月 1st, 2012
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あなたは世界に明確な答えを求める。あなたにとって、はっきりとした説明や分析、価値判断、それは大事なことだ。だが、それよりも沈黙が大事なことがある。あなたは世界に完璧な答えを求めるが、世界はその姿を見せることで語るだけだ。あなたはその世界の姿から、望む本当の答えを導きだそうとする。あなたはほんとうの答えを知って満足したい。世界の意味を知りたい。あなたはもっと完璧な答えを求めて、いつも世界を探しまわっている。いくら世界に答えを求めても、世界に対するあなたの説明や分析は答えにならない。それはあなたを満足に導かないのだ。むしろ、混乱と苦しみが増すだけだ。沈黙は何の説明も分析もしない。どんな問い掛けにも沈黙したままだ。あなたは世界に声高に問いかける。そして声高に世界に答えて欲しいのだ。その問い掛けに答える者はいない。森の木洩れ日も、雲を突き抜けで大地に降り注ぐ光も、樹々を通り抜ける風も、愛する人の眼差しも、その手のぬくもりも、そこでは沈黙している。そこに説明はいらない。沈黙すること、これが最高の答えだ。どんな哲学も思想も理論も超えて、あなたを満たすもの。あなた自身の人生の身近な問い掛けの答えさえ、沈黙によって満たされる。
12月 26th, 2011
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あなたに宿っている愛は変わることがない。その愛があなたに反映するとき、それは愛することになり、あなたと共に移ろいゆく性質を帯びることになる。真実の愛は変わることなく、現実の愛することは変化する。現実の移ろいゆく愛することだけしか知らないとき、あなたは失望を繰り返すだろう。だが、あなたが真実の愛から離れることなく在るとき、現実の愛することに何のためらいがあるだろう。真実の愛は移ろいゆく性質さえ愛の中に包み込む。そこでは愛することや愛されることを失うことさえ愛なのだ。愛することを失って悲嘆に暮れることも愛なのだ。愛されることを失って傷つくことも愛なのだ。どんなときでも、愛であることは決して変わらない。真実の愛は揺ぎ無く、現実の愛することがはじまりと終わりを繰り返していたとしても、いつでも変わらずにそこに在る。真実の愛は何も語らない。現実の愛は愛を語る。誰が愛を語っているのだろうか。愛を語っているのはあなただ。愛を語っているあなたは誰だろうか。あなたがそこで自分を見つけた時、自分は意識だと理解する。意識は誰でもない。いままで自分だと思っていた誰かはそこにはいなかった。そこには愛を語る誰もいない。そこでは愛を語ることが起きているのだ。愛する誰もいなく、愛される誰もいない。それが真実だ。それは空虚だろうか。そこには変わらない愛が在る。それは確かに愛で満たされている。